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OdawaraPR>みどころ>八幡山1 


八幡山1


八幡山というのは大森氏や北條氏が城をかまえた場所です。現在はテニスコート、陸上競技場、高校、公園、遺跡などがあるわけのわからない場所と化しています。ここにある高校のグラウンドから北條時代の障子堀や縄文時代の遺跡が発掘されました。

地図はこちら→  ※城山公園のあたり一帯を「八幡山」と言います。


八幡山も花の見所です。6月頃は紫陽花。八幡山内にある「城山公園」の桜は市民の花見の場所として有名です。また、小さいながら藤棚もあります。個人的には陸上競技場から下へ行く道沿いの紫陽花と、上へ行く道沿いの桜のトンネルが好きです。(今回は紫陽花しか写真がありませんが。)

大久保神社

地図はこちら→

小田原城主 初代大久保忠世、および十一代大久保忠真を祀っている神社です。

忠世は一五九〇年豊臣秀吉の小田原攻略で徳川家康に従い参戦、小田原城開城後小田原城主になりました。

忠真は二宮尊徳をはじめとする多くの逸材を登用した大久保家でも名君と言われる人物です。

ここの神社ですが、いつ行っても誰もいません★でも結構雰囲気とか好きなんですけどね〜。とってもこじんまりしていて。薄暗いんですが、全然怖くないです。(この後出てくる小峰御鐘ノ大堀切の方がよっぽど怖いです)

ここの境内にも謎のものがいくつか。その中でもイチオシ(?)がこれです。

文字はかすれてしまっていてよく読めませんでしたが、なんでも「戦利兵器奉納」や「陸軍大臣」の文字が見えました。どうやら爆弾だかなんだかみたいです。なんでそんなものがこの「大久保神社」にあるのやら・・・。由来も書いてあるのでしょうが全然読めない・・・。今度明るい日にもう一度チャレンジしてみようと思います。ちなみにこの大久保神社のそばには慰霊塔だかなんだかの石碑もあります。やっぱり謎だ・・・小田原・・・。


城山公園

小田原市民の中では「花見の名所」で知られる場所ではないでしょうか。しかし、桜だけじゃありません。藤棚あり、躑躅あり、紫陽花あり。しかし、大久保神社と同様、桜の時期とか盆踊りの時期(たしか盆踊りをここでやってた覚えが・・・。違ったらごめんなさい)以外は静かです。静かすぎ・・・。

私が行った時は犬の散歩をさせている人と出会いました。他には誰もいない・・・★他の公園と違い、人はいないし、よその犬はいないし。鎖をはずして散歩させてました。(おかげでどろどろの足でとびつかれました。痛かった★可愛かったけど)

ところでここで「ドンチャン♪ドンチャン♪」と花見などをしてるのはいいんですが、ここもやっぱし慰霊塔があるんですよね〜。上の写真の中央はその慰霊塔だったりします。このあたり慰霊塔が多すぎ・・・。なんでだろう・・・。由来が知りたい・・・。

写真右下は井上康文の碑です。昭和48年4月18日、76歳で病により生涯を閉じた康文の功績を記念し、昭和55年6月1日、「井上康文の碑」を建設する会により建てられました。


障子堀発掘地(小田原高校グラウンド)

地図はこちら→

北條時代の障子堀が発掘調査されていた場所です。

現在は発掘調査も終了し、校舎が建つのは保留中という状況です。小田原市は今回も貴重な遺構を公開できないんでしょうね。実は前科があって、A高校というところにやはり埋没保存してその上に建物が建てられちゃってます。小田原市も積極的に公開保存しようとしていないので、どうしようもないですね。そんでもって「歴史を大事にする」「歴史の風薫る」とかって平気で公言するんですよ、市も市長も。おい(怒)。だったら言うな、言うならちゃんとしろ〜〜〜〜!!!だから小田原ダメダメって言われちゃうんじゃ〜ん。

と、本音炸裂!!
まあ、市はそんなんですけど、市民は頑張ってます。だから小田原をよろしく〜〜〜。


小峰大堀切

小田原北條氏時代の小田原城は全国でも稀に見る規模の大きさの縄張りを持った城郭として知られています。その構築法は、「総曲輪」で、城、城下町を囲んだ大外郭を設けて、城下町を戦禍から保護し、場外に雄大な防護線を張る構えでした。また大外郭は土塁とその外堀とで作られているところから「総堀」ともいわれています。

小田原城総曲輪はおそらく小田原北條氏三代 氏康の永禄年間頃からつくり始められ、上杉謙信、武田信玄による再度の来攻の経験などにより次第に拡大され、五代 氏直の時、豊臣秀吉の小田原陣が始まる直前の天正十八年(一五九〇)早春に完成したものと思われています。現在ここに見られる空堀、土塁は小田原城の残存遺構の中で最大なものだそうです。


小峰御鐘ノ台大堀切東堀

小峰御鐘ノ台大堀切東堀は慰霊塔側にある東堀、現在道路になっている中堀、西側にある西堀の三本の堀切全体の名称です。この堀切は本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を分断し、敵の攻撃を防御するために北條時代末期に構築されたものです。

東堀は幅が約二〇〜三〇m、深さは土塁の頂上から約十二mあり、堀の法面は五十度という急な高配で、空堀としては全国的にも最大規模のものといえます。

と、説明書きを抜粋してみました。写真はこちら。↓ちなみにこの辺ヤバいらしいです(心霊スポット?!)情報は川口市の渡辺様です。ありがとうございました〜。

夕方だわ、暗いわでかなり写真撮るの大変でした。このへん実は「カラス」の住みかで、夕方近くになると上空をカラスの群れが飛び回ります。その姿を見るとつい映画『鳥』を思い出し、すごくやなかんじ。または「バイオハザード」を思い出します。ああ、いやだわぁ★特に夜な夜なバイオをやっているとどこからか「かぁ〜がぁ〜」とカラスの声がして心臓鷲掴みにされます。

 この写真たちを撮影するときは、フラッシュが勝手にたかれてしまい、そのたびカラスを驚かせてしまって「バサバサバサッ」「がぁ〜ぎゃ〜」とものすごいことになってこれまた心臓鷲掴み★
 撮影は失敗しましたが(
八幡山2に載せました〜)、「現在道路になっている中堀」は昼間でもうっそうとしてくらくて、とってもいい感じ(怖がりなんだか・・・おいらって・・・★)ここは文章通りに道路になってますので通って見るのもまた一興。ちなみに他の部分は立ち入り禁止です。くすんっ★とくに左上の写真の場所は以前はこの前にバス停がありまして、いつもここからバスに乗ってました。なのに堀切って知らなかったんですよ・・・。地元民なんてそんなもの・・・(私だけ???)

 桜の時期以外は結構人が少なくて穴場な八幡山。デートに、犬の散歩に、肝試しに(いいのか?それで★)最適です。(ほんとか?)北條時代の堀まで見られます。一度いらっしゃってくださいね★

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