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小田原三茶人


小田原は昔から茶道に縁が深いです。(うちの母の影響で茶道関係ばっかり聞いてるだけかも知れませんが)。山上宗二や千利休にもゆかりの土地です(石垣山大茶会 を参照してみてください)。

更に小田原には「三茶人」と呼ばれた人物たちがいました。「益田孝(鈍翁)」「野崎廣太(幻庵)」「松永安左絵ェ門(耳庵)」です。


益田鈍翁

三井の大番頭と呼ばれた人物。三井を世界最大の財閥に育て上げました。小田原に掃雲台を作り移り住みました。その為全国から茶人たちがこの地を訪れ「小田原詣で」の言葉も生まれました。数多くの茶道具のコレクションを残しました。日本美術品が海外流失するのを防ぐ目的もあったと言われています。

昭和初期、庶民が食うに困っていた時代、板橋の人々に栄養を取らせようと、夜になると屋敷前の小川にしじみをまき、地元民はそれを取って食べたといわれています。これを知ったとき、「動物のお医者さん」のなんとかっていう教授が「細菌がどんどんいなくなってしまう生徒のシャーレには細菌を足してあげたりする妖精のような」みたいな記述があり、益田鈍翁も妖精のような人だなぁと思いました・・・。。

縁の施設:鈍翁in西海子 南町2−2−170465−22−7765 入場料700円(抹茶つき)10時〜17時 水曜休館

 ※2004年1月末まで休館中。(庵主 牧野みち子さんがなくなられたため。ご冥福をお祈りいたします。)


野崎幻庵

←野崎幻庵の落款です。

益田鈍翁に認められ、中外商業新報・三越の社長、鐘紡重役を歴任した人物です。茶人たちの茶会記事を個人的に創刊した中外商業新報(日本経済新聞の前身)などを通じ、茶道を広めました。小田原に自怡荘(葉雨庵)・安閑草舎を相次いで建設しました。

葉雨庵は自治荘の一角に建てたものです。幻庵は大正7年〜昭和16年、83歳で亡くなるまで小田原で過ごしました。葉雨庵には犬養毅、馬越恭平、益田鈍翁などの政財界人を招きました。

葉雨庵 東大寺石造蓮池
葉雨庵 葉雨庵門横にある天平時代(古っ!)の南都東大寺 東大寺石造蓮池

縁の施設:松永記念館 葉雨庵(野崎幻庵が自ら設計した茶室)があります。


松永耳庵

戦後経済界を指導した電力王と呼ばれた人物です。晩年は小田原の老欅荘に住み、茶の湯に親しむ生活を送りました。小田原の彼の元には吉田茂や池田勇人といった歴代首相も訪れました。小田原板橋は要人交流の拠点、文化の発信地でした。

戦前戦後を通じ、大きな業績を残した政治家・実業家。関西電気副社長、東邦電力社長、東北電気社長、新潟電力の社長に就任、電力王と称されました。戦後の電力再編成においては分割民営化を進める上で中心的な役割を果たした人物です。茶道を始めたのは60歳から(凄っ!!私なんか子供の頃からやってても全然上達しないのに!!)で、近代を代表する茶人として知られます。

耳庵の号は論語の「五十にして天命を知り、六十にして耳順う従う」によるものだそうです。昭和21年、小田原市板橋へ移り、当初は24坪、後に建て増ししたので50坪ほどになった住まいには大きな松の木があったことから「松下軒」と称しました。(どれだかわからなかったけど。ちゃんと見てなかったのかも知れません)茶道具、美術品を多く収集し、これら古美術品を展示するため、松永記念館を建設しました。現在土地と建物は市に寄贈され、郷土文化館分館として開放されています。

小田原はなんといっても夏涼しく冬暖かい保養地で、長命者が多かったらしいです。耳庵は小田原に住むことが年来の願いだったそうです。(う〜ん小田原にほれ込んで(?)くれたなんて嬉しいですね〜)

老欅荘 老欅荘 庭

縁の施設:松永記念館老欅荘・旧松永安左ヱ門邸

松永記念館・老欅荘 松永耳庵ゆかりの古美術品などが展示されている。


松永記念館

9時〜17時 入館料無料 小田原市板橋941-1 箱根登山線箱根板橋駅徒歩10分

松永記念館 松永記念館 池 松永記念館 睡蓮
松永記念館 庭 松永記念館では展示会(たいてい無料)と茶会などが開かれます。また、新館では著名人のハガキ(直筆)なども展示してます。

Odawara PRなのにちょっと小田原のダメダメなところを暴露するコーナー!!

以前は葉雨庵のあった場所には別の茶室がありました。「黄梅庵」という茶室です。これは奈良県にあった今井宗久(ご存知、千利休と並ぶ茶人です)所領の茶室を松永耳庵が小田原に再興したものでした。8畳の広間と3畳座床の茶室と水屋で構成されていました。が、小田原市ったら堺市に「堺市縁の今井宗久の茶室ならうちに権利があるから返してください」と言われて返しちゃいました。だめじゃん〜〜〜〜!!!元々は奈良県にあったわけだし、突っぱねる事はできなかったのかい?と市に聞いてみたいです。そして、空いてしまった場所に老朽化していた葉雨庵を持ち主から寄贈され、移築したらしいです。葉雨庵も由緒ある茶室ですが・・・。悔しいです・・・。黄梅庵は現在も堺市にあるらしいです。くすんっ。

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