OdawaraPR>祭・イベント>傘焼まつり>曽我物語>曽我物語5
伊東祐親の銅像。静岡県伊東市役所横の公園にて撮影 |
さて、祐経を追い落とし、荘園を手中に収めた祐親の話に戻ります。 祐親は窮地に追い込まれていました。ちょっと先を見る目がない人物だったのかな〜と思われるのですが、源平合戦で本家(平家)側に味方してしまったため、斜陽になっていました。さらに、この人がダメダメだったのは源頼朝を過小評価しすぎたことです。 一時期祐親は頼朝を庇護していました。頼朝も、流罪人の身とはいえ、結構自由に行動できていたようです。そして祐親が京へ上っていたスキに祐親の娘、八重姫と恋愛関係になり、男の子(千鶴丸)を授かっています。が、その頃は平家の天下です。まだ翳りは見えてません。京から家へ戻ってきた祐親は八重姫と頼朝の事、そして孫の千鶴丸の事を知ると多分恐れをなしたんでしょう、平家に。いきなり千鶴丸を殺してしまいます。(たしかどこかから突き落としたのだと思いましたが、孫なのに!まだ3歳なのに) 一方八重姫は父親によって軟禁状態にありました。が、どうしても頼朝を忘れる事が出来ません。そしてこっそり夜の闇にまぎれ、韮山の頼朝の元へ走りました。(といっても侍女6人も連れた大所帯。目立ったと思う・・・)しかし、政子と頼朝がデキちゃってることを知っている門番は門前払いしてしまいます。(ちなみに政子は八重姫の姪にあたります。)家から飛び出してきた八重姫は家に戻る事も出来ず、また頼朝とも会えず嘆き悲しんで侍女たちと入水自殺をとげました。(ってか、頼朝切り替え早すぎ!!も〜この物語に出てくる男って曽我がつく人以外ダメダメじゃん!!) この八重姫と頼朝の恋を邪魔してしまった祐親は、その後頼朝の子殺しの罪で捕らえられ自害します。(ちなみに祐親の子で頼朝を逃がした彼(ちょっと名前を失念・・・)は頼朝に「わしの御家人になれ」と誘われますが、親を裏切る事はできないと言い、やはり死んでしまってます。) 祐親が千鶴丸を殺していなければ、頼朝の舅、いずれは征夷大将軍のおじじさまになれたのに、かなりダメダメですね。でもそんなものかもしれません。自分がその立場ならやっぱり先を見れたか疑問だもんなぁ。 別の見方をすれば最後まで平氏に忠誠を誓ったとも言えますが・・・。 |
Copyright(C)2002 soka All rights reserved.
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||