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曽我物語6 仇討(狙い、狙われ・・・)


 一方の祐経は源氏側につきました。まあ、祐親と敵対関係にあったせいもあれば、先を見る目を持っていたこともあるんでしょう。そして頼朝の寵臣にまで上り詰めていました。しかし、どうしても祐泰の子、一萬と箱王が自分を狙っているのではないかという恐れを抱き続けていました。そして頼朝に二人の殺害を願い出ます。まあ、平家も頼朝を殺していれば滅亡しなくてもすんだという話ですし、当然と言えば当然ですね。頼朝も自分の経験上祐経の気持ちがわかったでしょうし、騒動をおこされたくないということも手伝って、梶原現太影季に命じ、由比ガ浜で斬首しようとします。が、御家人の北条・和田の嘆願によって二人の命は救われます。そして箱王は僧になるようにと箱根権現へ稚児として預けられます。(昔の稚児というとどうしても怪しい想像をしてしまうんですけど・・・ダメですか・・・?)

 しばらくたって、箱根権現に頼朝と祐経がやってきます。特に祐経は箱王の様子を見に来たんですが、どういうわけか、祐経は箱王へ「赤い短刀」をプレゼントしたそうです。まあ、もう命を狙われる事もないと安心したのでしょうか?その後、箱根権現から箱王の姿が見えなくなります。僧になりたくない一心で、北条時政のもとにいた兄 一萬の所へ逃げ込みます。一萬は箱王を時政のもとへ連れて行き、時政を烏帽子親として元服させます。

 さて、時政はなぜ曽我兄弟を庇護したのでしょうか?まず、時政の妻は祐親の娘にあたります。つまり、時政と兄弟はおじ、甥の関係になります。また、時政は密かに祐経を憎んでいました。はっきり言うと邪魔者だったわけです。寵臣は自分だけでいいってことでしょうね。なもので、兄弟をたきつけて祐経を打たせたという説もあるそうです。

 その後、兄弟は何度か祐経を討とうとしますが失敗、そして逆に祐経側に命を狙われたりするということを繰り返します。そしてついに最後の場面に突入します。その頃頼朝は富士の裾野で武士たちを集め、薪狩りをしていました。そこへ突入しようというのです。

 1193年5月28日夜、兄弟はついに祐経の臥床へ討ち入りました。皮肉な事に最後のとどめを刺したのは祐経自身が箱根で五郎(箱王)にプレゼントした「赤い短刀」だったといいます。このとき、祐経の寝所には女性が2人いましたが、彼女たちには手出しをせず、安全な場所へ移しています。フェミニストですねぇ、スケベ爺とは大違い(いや、女性に優しいのは血筋だったりして・・・)

 想いを遂げた兄弟は頼朝の御家人たちに囲まれ、立ち向かいましたがついに仁田四郎忠常により命を絶たれます。

 曽我十郎祐成、享年22歳。

  1. 発端 〜スケベ爺さんの過ち〜
  2. 財産争い 〜箱根権現ってすごい?!〜
  3. 誤算T 〜ついに犠牲者が〜
  4. 遺児 〜曽我へ〜
  5. 誤算U 〜先を見る目がなかった?!〜
  6. 仇討 〜狙い、狙われ・・・〜
  7. 仇討が終って・・・

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