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外郎についてのうんちく


外郎さんの店先と八棟造りの建物。この建物はわりと最近建てなおしたもので、以前の建物は関東大震災時に倒壊してしまったそうです。
住所・電話番号 小田原市本町1−13−17 0465−24−0560
営業時間 4〜10月 10:00〜17:30
11〜3月 10:00〜17:00
定休日 水、日、第3木曜日 たまに臨時休業あり。たまに臨時に開いているときもあり。しばらくは日曜もやっているらしい。問い合わせて行った方が無難だと思われる。
駐車場 あり(店の隣に駐車場がいつのまにかできました)

地図はこちら→  

以前はサイトも駐車場もなかったのですが、いつの間にか両方できてました。サイトはこちら


「外郎」・・・なんて読むか分かりますか?ういろうと読みます。じつは人の名字なのです。この外郎家で作っている薬とお菓子を「ういろう」と呼ぶのです。他の地方で有名になってしまったういろうですが、元祖とも言える外郎家のお話です。

かんたんに・・・歴史紹介

 祖は陳延祐(チンエンユウ)氏。陳家は元の順宗皇帝のもとで大医院、礼部院外郎(レイブインガイロウ)でした。元が滅亡した後 陳延祐は日本(筑前博多)へやってきます。そして「陳外郎」と称します。医術や卜筮(占いのこと。卜法(亀の甲羅を焼いてその亀裂の形によって吉凶を占う。)と筮法(筮竹という細長い竹の棒を使って占うもの)に分けられる。)に精した人物だったそうで、足利義満が京に招きますが応じませんでした。

 二代目は大年宗奇(タイネンソウキ)氏です。義満の招きに応じ、京へ上ります。幕府傍に邸宅を与えられ、朝廷典医、外国信使接待、禁裏幕府諸制度顧問を務めました。この頃から家方の「霊宝丹(レイホウタン)」を作ります。これは効能顕著だったため、皆珍重し、服用したため時の帝より「透頂香(トウチンコウ)」という名を賜ります。(頂(頭部)を透し香るという意味)透頂香は救急薬として、また武士は武運長久を祈る縁起物として常用したそうです。また、この頃大年宗奇がお菓子を作ります。そして「外郎家の菓子=外郎」(←ここポイントです★)と呼ばれます。

 五代目定治は永正元年(1504年)北條早雲に招かれ小田原へやってきます。その際、弟へ典医と菓子製法を伝えます。早雲は城前に宅地を与え、定治は朝廷から定紋として許された「十六の菊の紋章」と「五七の桐」の紋章をつけた八棟造りの邸宅を建てました。

 八代目光治の時、豊臣秀吉が北條攻めを行います。光治は小田原籠城に参加します。開城時、秀吉は北條家臣を小田原城下に残さない方針でしたが、外郎家には「由緒深き家柄のため、城下に留まり存続せよ」と言い、この時より医薬に専心することになりました。

外郎家は代々一子相伝で当主は「藤右衛門」の名を襲名します。名字は「外郎」と「宇野」の2つを使い分けていたそうです。公事には外郎、私事には宇野を用いました。なぜ宇野かといいますと、五代目定治が足利の祖籍宇野源氏の世継ぎになったためです。(足利将軍に重用されていた証ですね)


薬のういろうとお菓子のういろう

 透頂香は一般に「ういろう」と呼ばれます。上記でも記したとおり、外郎家の薬のためういろうと呼ばれました。
 室町時代から作られ、武士、公家、宮中、幕府で用いられました。これは日本で最初の製薬とされています。
 江戸時代になり、東海道を通る人々が必ずと言っていいほど「ういろう」を求めました。印籠に納めて道中の常備薬にしたり、みやげにしたりしたのです。そのため全国に広まりました。
 当時贋薬もでましたが、大名が厳しく取り締まりを行ったので姿を消しました。また店頭に贋薬を防ぐため、「ういらう」と仮名書きの招牌を掲げ、商標ともいえる狩野元信筆の「虎の絵」がかざられました。この絵はお菓子のういろうのパッケージに残っています。

一方お菓子のういろうは二代目大年宗奇が外国信使接待時、自ら造り出していたものですが、薬のういろうの苦い味との対象が良かった為か、評判になりました。平素は客の接待に使用し、商売にはしていませんでした。(封建時代の慣習が許さなかったためだそうです。)明治になりお菓子のういろうの商標が特許局に登録されたのを機会に販売を始めました。

 このういろうが全国にあるのは五代目定治が弟に菓子の製法を伝え小田原にやってきたことと関係があります。
 弟は室町幕府と共に兵火にかかり世継ぎもなく断絶してしまったのですが、外郎家に仕えていた職人等により他地方のういろうが出現したそうです。ただし、外郎家に遠慮があったといいましょうか、当時は「ういろ」「うゐろ」「外良」など文字を変えていたそうです。

 一般にういろうという名の由来は「外郎家の作った菓子」や「ういろうの色が薬のういろうに似ていたから」などと言われますが、薬のういろうは銀色で、お菓子は白なわけで・・・。やはり「外郎家の作った菓子」説を支持したいと思います。


歌舞伎十八番「外郎」

 享保頃、歌舞伎俳優市川団十郎は痰と咳の持病で舞台上で口上が言えず,役者を辞めようかと思っていました。ところが外郎を用いたところ、難病がすっかり治ってしまいました。うれしいやら感激するやらで思わず外郎家へお礼に参上しました。(江戸から小田原まで結構遠いです。徒歩だろうし。酒匂川越えもあるし。)
当時歌舞伎役者の地位は低く(今とは大違いですね〜)一方外郎家は諸大名も認める家柄、格別に偶されています。そんなことから団十郎は玄関先で挨拶だけして帰ろうとしました。しかし引き止められ隠居の宇野意仙のもてなしをうけ、俳句の話ですっかり盛り上がってしまいます。もう感動ものです。そこで団十郎はお礼として舞台上で外郎の効能を延べ、恩返しをしたいと申し出ます。しかし、外郎家側では「宣伝になるから」と言い断りましたが、「この霊薬を広く知らせることは人助けであり世のためである」と主張され許可、そして歌舞伎十八番「外郎」ができたのです。これは現在でも役者やアナウンサーの練習などにも使われているそうです。


お土産

肝心なお菓子の外郎を買い忘れてました。トホホ。
これが薬の外郎。銀色です。大粒の仁丹ってかんじです。うちの両親はこれを愛用しています。印籠も外郎さんで売っているもので、朝廷から使用を許された「五七の桐」の紋入りです。色も色々あります。 これも珍しいういろう飴。おいしいです。300円ってのも嬉しい。結構はまってぼりぼりぼりぼり食べまくってしまいます。
今はなきアミー小田原地下街にある外郎さんで撮影したお菓子のういろうの写真。ほかにも歌舞伎湯のみなども販売してます。

 小田原でしか買えないお土産としてお勧めなのはやはりういろう飴ですね。外郎(お菓子)自体も元祖と言い張って(私は信じてます)買って帰るのもOKだと思います。お値段は外郎(お菓子)1本500円。色は白、黒(黒砂糖)、緑(抹茶)があります。あとは栗入りがちょっと高くて700円です。ほかにも錦甘露1500円、くるみ餅1000円、ういろう羊羹1000円なども販売してます。ういろう飴は300円です。この両方は本店(と言ってものれんわけをしていないので支店はないんですが)と小田原アミー地下街の直営店で買えます。
※小田原アミー地下街は閉店(というのだろうか)しました。現在はういろう駅前調剤薬局(0465-24-0268小田原市栄町1-2-10)で買えるかな(実はまだ入ったことがない)喫茶室はあるっぽかったんですが…。
地図↓


詳しい地図で見る

 さて、絶対に小田原でしか買えないのは外郎(薬)ですが、こちらは天然素材100%を使用しているために現在材料の調達が難しく、以前からの顧客にしか販売していません。買えないこともないですが>2004年3月27日に友人を案内したところ、初めての人でも売ってくれるようになってました。どうしたんだ!?ただし、初めての人の場合、店員さんの説明を聞いてからということになってるみたいです。友人も最初は買う気がなかったようですが、説明を聞いてつい購入してました(笑)。

ここのお店は札のおつりがあると「新札」で帰ってきます。それだけでもちょっと得した気分??

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