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傘焼まつり


 

←討入を
描いた絵馬。
日時 5月27日(前夜祭)
5月28日
場所 小田原市曽我谷津 城前寺
交通 JR御殿場線 下曽我駅徒歩10分
駐車場 無料 
※台数が少ないため、電車がおすすめ。
ただし御殿場線は1時間に1本くらいしかないので
時間をチェックしておきましょう(苦笑)
問合わせ 0465(42)0140(城前寺)

地図はこちら→


歌舞伎の英雄伝記者で有名な「曽我兄弟」の菩提寺が下曽我にあります。

「曽我物語」は日本三大仇討の一つです。古い順に並べると 

   1.曽我兄弟の仇討(建久4年:1193年) 

   2.伊賀越仇討(寛永11年:1634年) 

   3.忠臣蔵(元禄16年:1703年)

になります。忠臣蔵は皆さんご存知でしょうから伊賀越仇討について簡単に記します


伊賀越仇討

寛永7年、岡山藩士 渡辺数馬の弟 源太夫が友人である河合又五郎に殺害されました。又五郎は江戸の旗本の屋敷にかくまわれます。が、岡山藩主 池田忠雄は幕府に訴え出て引渡しを迫ります。そんな折、池田忠雄が急死してしまいます。そして引渡しはうやむやに・・・。数馬が浪人になり、仇討をする方法しかありません。そして義兄の荒木又右衛門に助けを求めました。この人物は柳生流の達人でした。一行は東海道を上り下りし、又五郎が奈良にいる事をつきとめました。
伊賀上野城下の入り口で又五郎一行11名に襲い掛かり、仇を討ちました。
この仇討も浄瑠璃や歌舞伎で演じられました。「伊賀越道中双六」といい、かなり脚色が加えられているそうです。


曽我物語は赤穂浪士の仇討がおこるまでは庶民の間ではNo.1の人気を誇ったそうです。人気の秘密は兄弟が美男だったらしいということ、恋人がいたのに仇討に走ったこと(悲恋ですね)、仇討が成功した後、若くして命を落としている事という理由ではないでしょうか。

曽我物語

祭が行われる5月28日は曽我兄弟が仇である工藤祐経を討ち果たした日です。またこの日は兄弟の命日にも当ります(と言っても、十郎の命日ではありますが、五郎の命日は翌日)。つまり「慰霊祭」にあたるわけです。

この日、なぜ傘を燃やすかというと、兄弟の墓前で無病息災・至福繁盛を祈り、兄弟の霊を慰めるということと、兄弟が討ち入りをした夜、激しい雷雨で松明が燃え尽きてしまい、被っていた雨傘を燃やして松明の代わりにしたという故事に基づくものです。燃やすのは番傘ですが、現在では番傘を使う家庭もなくなってしまったので、城前寺では檀家に傘を貸し出して、その傘を燃やしているとどこかで読んだ覚えがあります。

 歌舞伎俳優は曽我物語を演じるにあたり、必ずこの寺にお参りをしたそうです。また、兄弟と相撲も縁が深く(曽我兄弟の父親、河津三郎は相撲の四十八手の一つ「河津掛」の考案者なのです。)、そのため祭には関取がやってきます。2002年は歌舞伎俳優 高麗屋十一代目 市川高麗蔵丈氏、武蔵川部屋一行が来寺しました。

傘焼まつり2002年 写真

曽我の里は「梅林」で有名ですが、他にも多数の史跡が残っています。曽我兄弟、尾崎一雄、太宰治のゆかりのものなどもあります。

曽我のみどころ紹介

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