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曽我物語1 発端(スケベ爺さんの過ち)


 1193年5月28日夜、河津祐泰の遺児、曽我十郎祐成・曽我五郎時致兄弟は長年父の仇と狙っていた工藤祐経を討ち取りました。そして兄弟の命も風前の灯火でした。

 発端は兄弟のひいひい爺さんにあたる工藤祐隆です。この爺さんはとんでもない(いや、ありがちなのか?)スケベ爺でした。このスケベ爺のスケベ心のせいで少なくとも5人の子孫が亡くなることになります。

 工藤祐隆は平安末期頃、伊豆地方の荘園を支配していた工藤一族の当主でした。正妻との間に3人男の子がいます。が、なぜだか皆早死にをしてしまいました。しかし、長男工藤祐家には息子(河津祐親)がありました。さて、スケベ爺さんの祐隆は「わしもそろそろ跡目のことを考えなければならぬのう」とかなんとか考えて、相続人を決めようとしました。

 現在でこそ平等に子供たちには相続の権利があったりしますが、なにしろ平安時代のことです、直系が継ぐのが当たり前。そうすると当然祐親が後を継ぐ事になります。なんせ直系ですから。が、このスケベ爺、側室がいるだけでもムカツクのに、側室の連れ子(娘)にちょっかいを出しまして、男の子(工藤祐継)を産ませちゃってます。爺なもんで、ピチピチした娘が産んだ子供、しかも俗に「年取ってからの子供は可愛い」なんてのも手伝ってすっかり祐継が可愛くて可愛くて仕方ありません。孫より可愛いわけです。なもんで、爺さん、さすがに外聞が悪いと思ったのか祐継をまず自分の養子にして跡目を継がせる!と決めてしまいました。

 これで腹を立てたのは祐親です。当然自分に権利があるにもかかわらず、そんな奴に荘園の支配権全部持ってかれてしまったわけですから。(祐親にもちょっとだけ遺産分けがあったんですけど、納得はいかないだろうなぁ)本来の跡継ぎであった祐親は傍系扱いになってしまい、工藤さんから河津さんという苗字になってしまいました。そうこうするうちにスケベ爺の祐隆はとっとと死んでしまいます。荘園は祐継のものになりました。

皆さん、ここまで読んでどう思います?祐隆じいさん。私は腹が立って仕方ないんですけど☆

  1. 発端 〜スケベ爺さんの過ち〜
  2. 財産争い 〜箱根権現ってすごい?!〜
  3. 誤算T 〜ついに犠牲者が〜
  4. 遺児 〜曽我へ〜
  5. 誤算U 〜先を見る目がなかった?!〜
  6. 仇討 〜狙い、狙われ・・・〜
  7. 仇討が終って・・・

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